上記の書は本文と何も関係がないが、私自身カオスに興味があったので

載せてみた。いずれ購入して読んでみるつもりだ。


ーたまたま読んでくださった方にお願いしますー


初めてHPを作ったとはいえ、木彫り関係が主なのか

健康や園芸にたいする経験談を書きたいのか

宇宙にまで話が及んでしまい自分でも驚いている。

アインシュタインの相対性理論について興味があった。

そこでいろいろ調べているうちに、バカの私が

行きついたところは、長年疑問に思っていたことへの

確たる(私にとって)答えであった。

これから書く言葉は、例えば計算式で証明できるようなものではなく

はっきり言ってなんの根拠もない。

大学は文科であったし、物理は高校のとき少しだけ。

それも簡単な証明を暗記するくらいで

宇宙の距離を計算するようなところまでやっていない(記憶にない)。

だから、私と同じことに興味がある人と繋がりたいと思う。

もう一度専門の大学に行くだけの費用も時間もない。

知識や興味のある稀な方と話がしたいのだ。

例えば、ブラックホールとワームホールは実は同じもので、

ブラックホールの特異点が突き抜けてしまった状態が

ワームホールであるという私の考えを肯定してくださる方、

それらは別のもので両方最初から「そういう形をしているもの」

であると否定される方、是非ご意見お聞かせくださいませ。



ー以下本文ー



人はいろいろと考えるものである。

私もしかりで、常時頭の回りを疑問と思考が、

核の周りを飛び回る電子のようにクルクルと回転しているのである。

学生の頃は勉強する時間が有り余るほどあったのに、

何の意欲もなく無駄に過ごしてしまった。

今人生の折り返し地点をとっくに過ぎ、

終着点がちらちらと見え始める頃になって

ようよう勉学に目覚め始めた。

「魂のはなし」で私は、死んでも魂は消えなく再生すると確信している。

と書いたが、魂がどこに再生するのかまではわからない。

そして、どこから生まれてきたのかもわからないのである。

私は生まれた瞬間から言葉を話せるまでの時を覚えている。

私の経験から言えば、生まれたての赤ん坊には視力も聴力も無い。

但し真っ暗ではなく真っ白で、ぼんやりとした霧のような視界だ。

どれくらいで辺りが見えるようになったのかまでは覚えていないが、

そんなに長い時間ではなかったように思う。

一番最初に見えたのは白い天井と、ゆるやかに回転する赤い玩具。

時々覗き込む顔。

私は無音の世界でぼんやりと上ばかり見ていた。

記憶喪失になったことがないので、想像でしかないが

多分そのときの状態がそれだ。

私はただぼんやりと天井にある玩具を見ていた。




意識がはっきりとしてくるにつれ、

私は母親にどうしても伝えたいことがあることを思い出していた。

早く伝えたい、伝えなかったら忘れてしまう気がする

私は何かを伝えるために生まれてきた。

頭の中ではわかっているのに言葉にできない。

焦燥感にさいなまれるかと思ったら、すぐに忘れてしまう。

それはまるで、新しい命を生きるために

古い記憶が消されようとしているかのようだった。

赤ん坊の日々は温かいおっぱいと眠り。

それらが過ぎ去り、片言が話せ歩くことができるようになった頃、

ようやく私は伝えなくてはならないことを思い出した。

ある日私は母に向かって

「人は死んでも終わりじゃない。またくりかえして生まれてくる。

どう言えば信じてくれるのかわからないねん、

でも死んで終わりになるのなら、

私は私でなくてもいいはずなんや。

私が私であるということは・・・」

頭ではわかっているのに言葉が出ず、悲しくて涙があふれだした。

母は奇妙な言葉を放つ我が子をどう思っただろうか、

気味の悪い子だと思われたのかもしれない。

そのときのことを、それ以後母はいっさいふれなかった。

しつこく話そうとすると、人には言うな家だけだと諭された。

後年私達一家は引っ越しをすることになる。

母の死因は輸血による肝硬変、在る県に父と出かけた先で

バスのタラップから転げ落ち、

大腿部を骨折し、そのとき貧血気味だからと輸血され、

それが出所不明の乾燥輸血材だったために

肝硬変になってしまったのだ。

私には異母兄がいたが、事情で一緒に暮らしていなかった。

おり悪く遠方に嫁いでいた私には、

肝硬変が悪化してしまっている母の異変に気がつかなかった。

おそらく私は何度も同じ両親のもとに生まれている。

そして、何度も母の葬式をしてきたに違いない。

だから今度こそ、母を死なせてなるものかと思った。

今私は、次にまた同じ母から生まれたら

良い選択ができるように導き、幸せな人生を

おくらせてあげたいと願っている。

私は母の人生を変えてあげたかったから、必死に訴えようとしたのだ。

人は死んでも終わりではないんだと。

人はいくつものパラレルワールドを持っている。

分岐点にくるたびに選んだ選択肢によって未来が複数できる。

その選択は意識無意識にかかわらず、必ず一つ選ばれる。

私は両親を幸せにするために、禁忌となる道を選ばせたくはない。

だから、おそらく、また、そのときがきたら、

両親が結婚しており私が生まれる未来であったら

間違いなく母にすべてを話し、幸せな未来を生きてほしいだろう。


菜の苗を作るために種を買った。

種の入った袋の裏に、北日本から西日本にかけて

種まきから収穫の時期が棒グラフで示されていた。

それを見ていたら、私の人生も

棒グラフにすることができるのではと思った。

私が生きている今を棒グラフと考える。

グラフが一本終了したら、それは消えてしまう。

そしてまた新しい棒グラフが伸びていくのだ。

一定の長さまで伸びる棒グラフ、

その長さは自分が選択した未来によって変わる。

私の人生にはたくさんの命が共存しており、

私が誰かの人生に干渉すれば、別にまた

新しい棒グラフが増えていく可能性がある。

自分が自分であるという意識は、無限にあるはずがなく、

限られた意識が同じ時代を繰り返し生きているのではないだろうか。

亡くなった両親は、今また同じ時代の同じ親から生まれ

同じ人生を歩もうとしているかもしれない。

ただし、もし両親達が出会わないという選択をしたら

私は生まれず、次に私が登場するまでお休みとなる。

まるでゲームのようだが、私の想像は真実に近いところまで

いっているのではないだろうか。


これから書こうとしていることは、「宇宙」の欄に書くべきか迷う。

いや、やはり妄想だろうな。学者じゃない私の思い付きだもの。

宇宙に存在しているとされる星は、

すべてが現在も存在しているとは限らないが

とりあえずは凄い数だろう。

人類は月に行った。着陸したかどうかは

いろいろな話があるのでわからないが、

月という星が今でもそこに在るというのは真実だと思う。

月面の映像を見たことがある。

すべてが灰色でところどころ丸みを帯びた陥没があった。

見ようによっては火山が噴火して、地表が溶岩に埋め尽くされた後のようにも思える。

「かつて月には文明があった、あるいは文明はなくても生物がいた」

という可能性は無いんだろうか。いや、それよりも

「月はもともと地球で、古くなって使えなくなったから今ある地球と交換された・・・」

つまり、月だけでなく他の星も廃棄されたゴミなのではないだろうか。


すべての物には寿命がある。

月も土星も火星も水星も金星も、その他すべて廃棄された物体だとしたら

各星に人類のような進化を遂げた生物が見当たらないという説明になるかも。

たとえ生物がいたとしても、それはゴミに残ったかゴミから生まれたものでしかない。

「宇宙には星がたくさんあって、進化した生命体がいる星が必ずどこかにある。

UFOが飛んでくるじゃないか、アメリカやドイツの研究機関では

宇宙人が捕らえられていて、研究しているんだ・・・」

なんて信じている人もいるけれど

それは事実なんだろうか。アメリカやドイツの研究機関が

本当にそんな研究をしているんだろうか。

私も最近まで、宇宙は広いんだから

地球みたいな星があって当たり前、

人間だけが生物じゃない、もっと高度な文明を持った

星が必ずあると信じていた。

でも、ふと思った。

誰がそれを証明できる?

何で月が灰色なの?

土星の回りには妙な気体かゴミがドーナツ状にあるし

火星は燃えているらしいし

これは全部ダメになった「元地球」なのではないんだろうか。

私は魂(独立した意識)の存在を肯定している。

私自身が覚えているのだから正確だ。

ひょっとしたら、世界は地球だけで

古くなったら新しいものと交換し続けているのではないか。

宇宙は「ゴミ捨て場所」とは考えられないだろうか。

人類はゴミ捨て場所の記憶を忘れているので

その場所のことが知りたくてたまらないんだ。





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